ゆでめんと新宿ウラ線 [1枚の写真から]
先週某日に出かけた写真展で、気になったのがこの写真~昭和っぽい裏町にたたずむ昭和っぽい若者、手前左右に広がってるのは、当時の鉄にはおなじみの古枕木の杭~ってことは線路際なんですね。(1)ちなみに昭和な若者は、のちに作詞家として名を成す松本隆さん、なのです。
こちらの写真では、松本さん線路を歩いちゃってますね、長髪もファッションも、歩くポーズもその時代っぽいなあ~バックに広がるごみごみした街並み~って書いてるけど当時はこういうのが普通の東京の家並みだったんですけどね。あ、この写真の撮影は1970年ころのようです。
(2)線路際にはいろいろなものが置かれてますね~奥に見えるのはおでん屋の屋台でしょうか?手前には線路上に布団か何かが放置されてますから、使われてない線路のようで~はいはい、撮影時にはこの線は廃止されていましたね。
(2)線路際にはいろいろなものが置かれてますね~奥に見えるのはおでん屋の屋台でしょうか?手前には線路上に布団か何かが放置されてますから、使われてない線路のようで~はいはい、撮影時にはこの線は廃止されていましたね。
で、一応鉄ブログですから現役時代の写真もご覧ください(写真展とは関係ありません)。松本さんが歩いていた場所を行く都電12系統、ここは新宿角筈~新田裏にあった専用軌道区間、なのです。(3)といってもここは営業路線ではなく、大久保車庫への回送電車しか走らない線で、だれ言うとなく「新宿ウラ線」と呼ばれてました。ってか新宿ウラ線って言ってたのは我が家だけかな?都電好きだった亡父は新宿で仕事していたことがあり、この線を新宿ウラ線と呼んだのも父でした~そんな俗称に相応しい裏町を抜けていくここ、電車の後ろの建物はあの新宿ゴールデン街の一角で、高校生の頃に撮影に行ったとき(この写真撮ったときですね)には、仕込みをしてるおかまちゃんにからかわれて、ほうほうの体で逃げた記憶があったりします。(4)Cedarが大人になって、この街で酒とそれにまつわるいろいろなこと(?)を経験したころには、ウラ線は当然消えていました。(5)今はだいぶ様変わりしたこの街(コロナ禍でもっと変わってるんだろうなあ)、新宿区役所の方からの入口はこんなですが、ウラ線は⇔のように横切っていました。右が靖国通り方向です。
とかとか・・写真展の報告のつもりが、鉄の思い出話に脱線しましたね。
(6)この写真展はCedarが学生時代に大好きだった「はっぴいえんど」のファーストアルバムのジャケットに使われた写真の展示だったのです。ドラムの松本さん、ベースの細野晴臣さん、ギターの鈴木茂さん、そして大瀧詠一さんという、すごいメンバーの紡ぎ出す日本語のロックに、鉄仲間でもあるイワキ鯨川君ともども、どっぷり嵌り込んだものでした。
(7・8)
会場に流れる収録曲を聴いてると、爺2人の気分は1970年の東京に飛んでいきました。(9)野上眞宏写真展「ゆでめん」は、渋谷ギャルリールデコで、15日まで開催されています→https://ledeco.net
(7・8)
会場に流れる収録曲を聴いてると、爺2人の気分は1970年の東京に飛んでいきました。(9)野上眞宏写真展「ゆでめん」は、渋谷ギャルリールデコで、15日まで開催されています→https://ledeco.net
#ゆでめん写真展
ではまた。
2021-08-11 10:00
nice!(13)
コメント(13)
懐かしい写真をありがとうございます。この線が現役の頃は、まだ小学生でした。
銀座からの帰り、親にねだって丸ノ内線ではなく都電12系統に乗ったことがあります。新宿駅前の一つ手前の「角筈」まで来たら、「この電車はここまでです」と降ろされてしまい、電車はそのまま、この「ウラ線」へと曲がって大久保車庫へ回送されて行ったのを、強烈に記憶しています。
あとひと駅なのに、どうして終点まで行ってくれないのだろうと思ったのですが、よくよく見ると、この電車の方向幕は「新宿駅」でなく「新宿(角筈)」と表示されていました。
新宿の元々の中心部は、駅前ではなく角筈界隈で、都電の駅前ターミナルはむしろ新開の場所にあったことを知るのは、ずっと後のことでした。
by 花見牛 (2021-08-11 16:24)
■花見牛様
そうでしたね、駅前の手前に角筈電停がありました。新宿(角筈)という方向幕はCedarも記憶あります。ウラ線のことを知ってる方ももうあまりいないでしょう。父親によればそもそもはウラ線が本線で、新田裏方面から靖国通りを交差したところが終点だったようです。靖国通りに都電が敷かれたのは戦後もかなりたってからですよね。
by Cedar (2021-08-11 17:36)
なるほど、こういう切り口か。路面電車とはっぴいえんど。
「風待ろまん」にも通じるなかなか良さ気な構成ですよ。
ね、ちゃんと褒めるでしょ。昨日はユーチューブで、
ず~と「ゆでめん」を聴いていたよ。
by イワキ鯨川 (2021-08-11 17:55)
懐かしい写真を、ありがとうございます。
そうかあ
ゴールデン街のこんな近くに線路があったのですね。
by 八犬伝 (2021-08-11 20:01)
自分の知らない時代と世界ですね。
何だかこの時代の音楽聴いていると、その時代の空気に対して不思議な憧れみたいのを感じてしまいます。
先日ゆでめん行こうと思ったら、お休みでした〜
by Chitetsu (2021-08-11 22:13)
■イワキ鯨川様
ホント気味悪い~ま、松本氏のあの写真の場所でお電車撮ってたんで、こういう風にしてみました。会場にあった江戸川橋あたりの都電の写真は「風街ろまん」ぽかったね。
■八犬伝様
ウラ線はG街の近く、というよりG街を貫いて走ってましたね。今の遊歩道が線路跡です。
■Chitetsu様
そうですよね。ちょうど高校→大学という時期で新しモノへのアンテナがいちばん高かった頃です。外国には行ってなかったけどその分情報には敏感、最近の若者は旅に興味無しらしいし。松本隆さんとは2年ほど前、神戸のトアロードデリカテッセンでランチ時に遭遇しました。
by Cedar (2021-08-11 22:38)
新宿ウラ線の跡地が遊歩道になったとすれば歩いたことはあります。(3)の雰囲気は昭和の世田谷線にもあったような。かつて旧京王追分とと都電は繋がっていて関東大震災の復興の土木資材の輸送に使われたそうです。新宿の鉄道の変化は昔も今も興味がつきないです。
by 京葉帝都 (2021-08-12 15:03)
■京葉帝都様
今の新宿は鉄道の影がどんどん薄くなっていますね、渋谷に続いて今度は西口広場のあたりの小田急や京王のビルが立て替えとか?もういい加減にしてほしいです。
by Cedar (2021-08-12 22:17)
★nice!いただいた皆様
ありがとうございます
by Cedar (2021-08-13 09:40)
この専用線は知らなんだ。子供の頃は新宿に縁がなかったからなぁ。こんな美味しい線路があったとは!
大学時代はそれなりにウロチョロしましたが、跡地にも全く気がつきませんでした。都心部はあっという間に再活用されるからでしょうか。
by シグ鉄 (2021-08-13 10:03)
■シグ鉄様
跡地は「新宿遊歩道公園四季の道」という長ったらしい名前の遊歩道になって全区間確認できます。音楽通の貴兄から、はっぴいえんどについての言及がないのは意外でしたね。
by Cedar (2021-08-13 11:43)
いつも拝見しております。この廃線跡、1972年、私が中3の夏に歩きました。まだレールが残っていました。たしか、高松吉太郎さんの本でこの区間を知り、実家にあった古い東京区分地図で位置を確認して、訪れました。東京西郊の中学生はゴールデン街が何か知らず、変な町だなあと思いました。その7,8年後、大学生時代に抜け弁天までを探索しましたが、車庫跡は既に文化センターが建っていて、専用軌道の繋がり具合が分かりませんでした。もっと後になって、都電写真集が色々と出て、やっと全容が分かりました。鉄道の古い記録は、後の時代になればなるほど公開されて、こちらも含めて有難いことです。
by 沖縄県営鉄道大謝名駅 (2021-08-13 22:17)
■沖縄県営鉄道大謝名駅
いつも見ていただきありがとうございます。廃止後2年経ってもレール残っていたんでしたっけ?新田裏から抜弁天までの区間も合わせると、かなり長い専用区間でしたね。これからも古いネタも大事にやっていきますのでご愛顧ください。
by Cedar (2021-08-14 10:22)