京急230の思い出〜東京電鉄つながりで [昔鉄写真]
城北の鉄ガキCedarが京急に乗るのは、川崎大師へ初詣に行く時でした。品川から乗るのは230が先頭に立つ川崎大師直通急行(ダルマ急行)。先頭まで伸びたロングシートは鉄ガキ(鉄親父も)の指定席でしたね。(2)ちなみにモケーの方はオールクロスシート仕様、運転台の反対側にも前向きクロスシートが、という鉄の夢が込められてます。
当時は高架区間は殆どなく、ごみごみした街並みを切り裂くような爆走に、先頭座席でワクワクしてたのも60年前の記憶です。
その中でも印象に残ってるのは京浜蒲田のこのクロスでした。ガキの頃からこういうの好きだったんですねえ~もちろん「鬼線路」なんて言葉は思いついてなかったけど・・(3)線路周辺のいろいろな施設や、正月らしい女性の着物姿にも目が行きます。京濱電鉄時代からの架線柱もいいなあ!
その中でも印象に残ってるのは京浜蒲田のこのクロスでした。ガキの頃からこういうの好きだったんですねえ~もちろん「鬼線路」なんて言葉は思いついてなかったけど・・(3)線路周辺のいろいろな施設や、正月らしい女性の着物姿にも目が行きます。京濱電鉄時代からの架線柱もいいなあ!
六郷の鉄橋を渡ると京浜川崎到着、地平時代には小さな車庫があって、留置中の230のサイドを撮っていました。
京浜川崎の別ショットもありました。右の大師線ホームには230のダルマ急行~キチンと急行サボ入ってますね。(7)本線下りは当時デビューしたばかりの非貫通1000形~当然こっちを撮ったんですが、オマケついでに・・
正月でないときに亡父に大師線に連れて行ってもらった時の写真も、小島新田だか、産業道路だかの側線に昼寝してる230+140+230を撮ってました。(8)赤と黄色のこの編成こそがCedarの230なんです。高校生のころ、かのロ●モデルにこの編成オーダーしたんですが、なぜか我が家には140しか残っていないのも謎です。(9)230いずこへ?
正月のダルマ急行は230+230+140+230の4連で、最高速度90㎞は出したと思います。定席はもちろん先頭まで伸びたシートでしたが、時には中間の140に乗って、ブリルMCBのふわふわした乗り心地を楽しんだものでした。
モケーの方は走り装置をそっくり換装したので、ダルマ急行に負けじと快調に走ってくれました。
ダウンロードは🎥こちら
・・・ここまでが昭和30年代の230、東京電鉄のモケーたちが誕生した頃ですね。
お次は更新後の姿です。更新初期の空港線運用、都営地下鉄直通前で連結器がオリジナルです。(10)
230の晴れ姿と言えばこのころもダルマ急行、もうじき消える八ツ山橋界隈でのショットを。これは地下鉄直通後の姿。
230の晴れ姿と言えばこのころもダルマ急行、もうじき消える八ツ山橋界隈でのショットを。これは地下鉄直通後の姿。
(11~13)(14)230に始まる大窓の伝統の破壊車700とのすれ違い。
~夏の海特(カイトクならぬウミトク)ってのもありましたが画像が見つかりません。
・・・このころ(高校~大学)は夏になると鉄であること止めてたんで、特にチャラい湘南方面では鉄してなかった(爆汗)
~夏の海特(カイトクならぬウミトク)ってのもありましたが画像が見つかりません。
・・・このころ(高校~大学)は夏になると鉄であること止めてたんで、特にチャラい湘南方面では鉄してなかった(爆汗)
最終時期には旧型お電車の常で支線運用が主となってました。大師線の4連は六郷橋脇の国道アンダークロスでよく撮影しました。
(18)昭和37年に品川で撮った(画像2)275の更新後の姿も撮ってました~やはりオリジナルの方が好きかな。連結器が嫌いなんです。
とかとか
他にも琴電に入った姿も撮ってはいますが、ここでお目にかけても詮無い気がして・・・
他にも琴電に入った姿も撮ってはいますが、ここでお目にかけても詮無い気がして・・・
東京電鉄繋がりの京急230の画像集はこのへんで・・・・
ではまた。
2024-06-27 06:00
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コメント(7)
東京電鉄はカーブなどの制約から車体長=330mm、連結器長が10mmで、全長350mmを標準寸法としていました。京急230形の更新車をプロトタイプとした第二次ST車種のデ200形も、実車の寸法を多少アレンジしてこの寸法に収めています。
by モハメイドペーパー (2024-06-27 10:07)
■モハメイドペーパー様
サイズ情報了解致しました。ウチのは両運で乗務員扉も運転席側だけですから、原形がプロトタイプみたいです。
by Cedar (2024-06-27 10:37)
京浜川崎地上駅、懐かしいですね。と言いたいところですが記憶が曖昧です。2,3回行っているはずですが私が8歳の時に高架になっていますので、完全に元の状態は幼稚園くらいまでと思われます。
小さな車庫と仰いましたが、雪が谷大塚や自由が丘しか知らないガキには立派に見えました。頭端式番線にツートンが停まっていたのは大師線だったのか…
鈴木町のデュアルゲージもワクワクしたなぁ…素晴らしい写真の数々ありがとうございました。
by シグ鉄 (2024-06-27 14:49)
■シグ鉄様
このころの京急は、軌道っぽい施設で関東唯一の高速運転してたのが痺れました。ゲージや沿線風景も関東の他の私鉄と違う雰囲気を感じてました。
by Cedar (2024-06-27 18:35)
懐かしい時代の画像、良くここまで撮って居られましたね。特に線路は凄い。(6)の画像、右手から交わって来た線路がデュアルゲージのように見えますがどうだったのでしょう?
ロコモデル製140のために、1/80の230を用意してあげましょうよ。2両くらい大したことないでしょ。
by OER3001 (2024-06-27 18:47)
■OER3001様
ガキ時分からの線路フェチでして〜(6)は多摩川沿いにあった味の素への専用線のデュアルゲージ分岐で、ここから塩浜で川崎市電に繋がり、最後は浜川崎まで行ってました。箱根のデュアルゲージより先に会いました。
by Cedar (2024-06-27 19:04)
★nice!いただいた皆様
ありがとうございます
by Cedar (2024-06-29 23:01)