最近見かけない看板 [雑感・雑談]
まずは昭和41年撮影、都電20番の沿線、護国寺と江戸川橋の間でした。(3)講談社の前辺りでしたか(歩道に積み上げられた本の山!)。わざとフレームに入れた?看板の付いた電柱の向こうに、撮影中の先輩が写ってます。(4)こちらは昭和43年の荒川線(とは当時は呼ばれてなかった)三ノ輪橋終点。清水医院さん、なかなか手広い診療科目。皮フ科と性病科ってのはセットなんでしょうか?
再び都電荒川線、7500が入ってますから昭和45年ころか、大塚駅前と向原の間の看板は皮フ科泌尿器科ですがぁ
(5)そっちも診てくれるらしい、という噂がうちの学校ではまことしやかに流布してたんです、でも真偽のほどは不明でした(試した奴も周りにはいなかった)
再び都電荒川線、7500が入ってますから昭和45年ころか、大塚駅前と向原の間の看板は皮フ科泌尿器科ですがぁ
(5)そっちも診てくれるらしい、という噂がうちの学校ではまことしやかに流布してたんです、でも真偽のほどは不明でした(試した奴も周りにはいなかった)
こちらは昭和47年大阪、阪堺(撮影当時は南海大阪軌道線)阿倍野交差点。(6)なかなかデカい看板が妙に印象的でしたね。わざわざ赤文字にして目立たせてるのが、大阪っぽい?(7)右隣が進学教室の看板てぇのもなんだかなぁ。(8)今は無き平野線を行き交うお電車からもよく見える場所、特に平野から天王寺駅前行きだと、右折のとき真正面に赤文字が嫌でも目に飛び込んでくる。
そして前回トップ画像で見ていただいた昭和38年の川崎駅前電停。シグ鉄さんのコメにあったように、旅館と医院の看板がセットなのは場所柄ですかね。(9)性病・肛門科と産婦人科が同じ病院?待合室が一緒だったら、かなーりバツ悪いなぁ。でもなんとなく納得しちゃう3診療科の組み合わせですな。
とかとか。昭和のころは割と普通に見かけたのになぁ、と思いつつ中央線に乗ってたら見つけました。なかなか目立つ昭和なフォント!
(10)街の看板じゃなく病院の上にデカデカと乗ってる、調べてみたら専門科病院のようです。(11)線路沿いにも看板、ありました。院名はやっぱり中央線沿いだから?
(10)街の看板じゃなく病院の上にデカデカと乗ってる、調べてみたら専門科病院のようです。(11)線路沿いにも看板、ありました。院名はやっぱり中央線沿いだから?
今はなんでもネットで検索するご時世、昔みたいに「あ、コリャひょっとして?」となって看板見た病院に飛び込む、って時代じゃないんでしょうねえ。
内医とか整形外科と違って「いい病院知ってる?」なんて人に聞けないし、駅や街看板の役割がありそうですが、駅構内でほんとに見かけない。(12)我が家最寄り駅のビルボードも真ん中以外全部クリニックなのに~お上品ぶりっこの越後屋電鉄、規制でもあるんでしょうか?一方でTVニュースなどでも「強制○○の疑いで」とか平気で使われる時代ですけど・・・
ま、昨今の医療医薬の進歩は、淋しいのはもちろん、梅ちやんだってAIDSだって「罹ったら最後」じゃないらしいですから。アタリが出てもあまりビビらず、ひっそりこっそりネット検索して、なんなら対面診療無しで検査もリモート、なんてことはないか・・・
とかなんとか、爺ブログ読者にはもはや関係無い看板のお話でした。
え、そんなことないって?そりゃまたお見それいたしやした。
え、そんなことないって?そりゃまたお見それいたしやした。
ではまた。
2024-07-05 06:00
nice!(9)
コメント(23)
これはなかなか鋭い観察で。
電車撮ってるふりして、ホントはこっちをでしたか(笑)。
社会なんとか学の論文にもできそうな。
by OER3001 (2024-07-05 07:46)
■OER3001様
ブログ始めたころから気にしていたテーマ(爆)でした。
昭和のころは普通に見られた街鉄風景がどんどん消えているのも時代の流れ、特にスマホを筆頭にデジタルの影響は大きいですね。
by Cedar (2024-07-05 08:18)
ボーダーレスの時代、多民族間を渡り歩いてきたインターナショナルな病原体は薬剤に対する耐性や症状も強いと聞きます。
君子危うきに・・・。
以前蚋に喰われて1か月くらい爛れが続いて飛び込んだ皮膚科医院も性病科掛け持ちでした。
あと泌尿器科との掛け持ちも多い気がします。
何か重複する修得単位とかあるんでしょうかねぇ。
by 思い出せない・・・ (2024-07-05 09:16)
大塚の写真でバックに見えている大塚ビルに私の勤務先がありました。大塚も場所柄、この手の医院は多かったです。
by モハメイドペーパー (2024-07-05 09:50)
「アイクリニック大井町」の院長先生のお名前。
すごいですね。「愛新覚羅 維」さん。
清朝皇帝と同じお名前。びっくりしました。
by 小肥り (2024-07-05 12:09)
大井町のアイちゃん、全く知りませんでした。勉強になります。
https://bunshun.jp/articles/-/48076
by gop (2024-07-05 12:25)
■思い出せない様
人類最古の職業と縁の深い病気ですね。
泌尿器科との兼科はエリア(爆)が、皮膚科ってのも性病のなかに皮膚炎もありますからね。
ってなんの話や!
by Cedar (2024-07-05 13:16)
■モハメイドペーパー様
あのビルは小学生のころ通った進学教室が入ってました。
戦前は白木屋だったと父に聞いたことあります。
by Cedar (2024-07-05 13:18)
■小肥り様
清朝皇帝と同じお名前〜
はい、直系の方みたいですよ。
by Cedar (2024-07-05 13:21)
■gop様
このビルボードは10年以上前から掲出されてます。
院長のお写真がずっと変わらないのが、サザエさん的興味があります。
by Cedar (2024-07-05 13:24)
繁華街から一駅位隣りの駅(大塚、代々木等)に職業病に特化したクリニックが多い様ですね。
by ぬか屋 (2024-07-05 13:29)
■ぬか屋様
確かに、ビジネス街→繁華街→繁華街周辺関連業種の街っていう図式ですね。東京→有楽町→新橋みたいな。
by Cedar (2024-07-05 14:09)
ぢ、ひち、性病、これらの看板は確かに減りましたね。
清水医院ですが放射線科!レントゲンがあるだけかもしれませんが、例の患部に照射するんだったら怖いですね。
疑いがあった時にかかったのは皮膚科でした。もちろんシロです。
健康保険の支払い明細に××性病科と入っちゃうとヤバいですから。
by シグ鉄 (2024-07-05 14:42)
そうでしたね
皮膚科はなにげなく性病も扱ってる医院が多かったと思います。
一度だけ行った事がありますが
あれは恥ずかしかったな。
いや、もうひとつあったので
都合2病院に通ったことがありました(^^;
そうそう
横須賀の八百甚を記事にしました。
by 八犬伝 (2024-07-05 20:09)
■シグ鉄様
>疑いがあった時にかかったのは皮膚科でした。もちろんシロです。
ってことは、大塚の看板についての噂は正しかったんだ!
たしかに皮膚科ならば家族にも疑われずに掛かれますからね。
by Cedar (2024-07-05 22:33)
■八犬伝様
やはり皮膚科って、やってたんですね。
八百甚の記事拝読いたしました。
by Cedar (2024-07-05 22:45)
清朝皇帝と同じお名前〜
はい、直系の方みたいですよ。
↑
勉強になりました。
気にはなってたんですが
亡母がよくアイシンカグラと申しておりましたが最近の方はラストエンペラーでご存知でとはいうものの’87の映画ですから30年経ってますからねー
by マメウサギ (2024-07-06 00:20)
■マメウサギ様
ワタシも愛新覚羅溥儀はラストエンペラーで知りました。
最後は日本に来ていたのは知っていたので、件の看板見つけた時に、ああ末裔の人だと思いました。
by Cedar (2024-07-06 06:11)
我々も「ラストエンペラー」のイメージですが、少し上の世代は「天城山心中」事件を話題にします。
西宮にも直系の方がおられるんだとか。
by 思い出せない・・・ (2024-07-06 09:00)
■思い出せない様
天城山心中って聞いたことあります。
波瀾万丈って奴ですね。
by Cedar (2024-07-06 09:38)
田園都市線沿線に住んでいた頃、品川駅の海側の勤め先まで通うのに、渋谷駅の面倒な乗り換えを避けるため、溝ノ口から大井町線経由のルートを使っていたので、大井町駅のあの目医者さんの看板は嫌でも目に入っていました。名前が気になるのでネット検索すると、やはり清朝(~満州)皇帝の末裔だというのは本当らしいです…。
お医者さんの駅の「珍」広告というと、今は亡き名鉄揖斐線の「尻毛」駅の駅名表示板の下にあった肛門科医院の広告。「まさに駅名にぴったりだね」と大いに話題になったのを思い出します。
お医者さんと密接なつながりがある薬屋さん。京浜東北線や山手線の架線柱によくあった「おでき薬局」のホーロー看板。その「おでき薬局」、今もあるのでしょうか?
by 伊豆之国 (2024-07-06 22:46)
■伊豆乃国様
コメントありがとうございます
by Cedar (2024-07-08 10:50)
★nice!いただいた皆様
ありがとうございます
by Cedar (2024-07-09 09:32)