台湾旅に寄せて、’90s台湾想い出写真その2 [外国鉄写真(昔)]
この記事がアップされるころ、Cedarは台北市内のどこかにいます
(予約投稿でスミマセン)。
こんなところ?
こんなところ?こんなところにはいませんよ!
今回は3泊4日の短い旅で、宿も3泊同じ。遠出するにしても日帰り圏内だし、5年前の台湾鉄旅みたいな弾丸移動はしません・・そんな中で一つ候補に挙げたのは、今やガイドブックにも載ってしまう有名観光地の台鉄平渓線
(参考画像)こんなだとちょいと引きますねえ。台北から近いし、沿線の景色は良いけど爺独りではなあ・・
(予約投稿でスミマセン)。
こんなところ?
こんなところ?こんなところにはいませんよ!
今回は3泊4日の短い旅で、宿も3泊同じ。遠出するにしても日帰り圏内だし、5年前の台湾鉄旅みたいな弾丸移動はしません・・そんな中で一つ候補に挙げたのは、今やガイドブックにも載ってしまう有名観光地の台鉄平渓線
(参考画像)こんなだとちょいと引きますねえ。台北から近いし、沿線の景色は良いけど爺独りではなあ・・
零細な炭鉱地帯を行くローカル線沿線を舞台にしたこの映画は、派手なアクションや激しい人間模様は無いのですが、映画ヲタクCedarは淡々とした語り口と陰影ある映像にどっぷりはまり込み、業務出張の合間の一日、ロケ地平渓線に足を運びました。(のちにアニヲタの間で流行った聖地巡礼ってやつの先駆け?なんて・・)
起点駅瑞芳(ジュイファン)車站で。キハ55にカウキャッチャー付けたみたいな柴油車(DC)が待っていました。
(4・5)今は振子電車特急が行き交う本線(宜蘭線)も非電化でした。
起点駅瑞芳(ジュイファン)車站で。キハ55にカウキャッチャー付けたみたいな柴油車(DC)が待っていました。
(4・5)今は振子電車特急が行き交う本線(宜蘭線)も非電化でした。
そして沿線の拠点駅十分(シーフェン)車站へ、昨今は線路上で行燈熱気球なんか上げて観光地として賑わってるここも、当時は寂れた炭鉱地帯の駅そのものでした。
(7・8)DVDパッケージの写真はまさにここです。
(9)沿線の炭鉱も細々と操業していました。
荷役に働いてるのがみんな欧巴桑(おばさんの台湾語表記)で、彼女たちが人力でセキを移動するのは映画の1シーンみたいでした。
(10)現場監督?のオッサンに「シャシン・トレ」と言われたりして~(11・12)藍色柴油車の交換シーンは’70年代の日本のローカル線そのものでしたね。
このあとに、念願かなって侯孝賢監督と仕事ご一緒しました(こんなCM作ったりしました→)
明日気分が乗ったら行ってみます。(行かなかったらスミマセン)
ではまた。
2024-11-26 18:00
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コメント(7)
そうか、架線無くてもえーがか。なるほど。
くれぐれも嵌め外して怪我なさらぬように。30年(?)の時間はカラダも同じですから。それにしても“こんなところ”良く撮っていましたね。
by OER3001 (2024-11-26 21:40)
平渓線の20年前の状況を弊ブログに載せております。
https://blog.goo.ne.jp/station_cat/e/c1cdf690c3eb0c53700eff3f67521f51
by 駅猫 (2024-11-27 11:14)
そうか、台湾の鉄道は左側通行なんですね。日本領でしたから。でも、クルマは右だった様な、、、
by シグ鉄 (2024-11-27 22:44)
■OER3001様
重ね重ねのご心配、まことに恐縮です。
■駅猫様
ブログ拝読しました。藍色柴油車が置き換わった直後でしょうか?十分や菁桐も変なことになる前の落ち着いた感じですね。
実は今回行ってきましたがテーマパーク化にガッカリして、ただ往復して戻ってきました。
■シグ鉄様
鉄道は左、クルマは右、台北のMTRも右ですね。フランスとかイタリアみたいです。
by Cedar (2024-11-30 07:33)
★nice!いただいた皆様
ありがとうございます
by Cedar (2024-12-01 07:34)
90年代をつい最近と思ってしまう自分がいて愕然とします。
もう30年も前のことなんですよねえ...月日の早いこと。
うかうかすると、2020年代が昔話になってしまいそう。
...ま、その頃に生きていられるかは分かりませんけれども。
by ナツパパ (2024-12-01 14:13)
■ナツパパ様
小生も全く同じです、今の時代を昔のことと感じるころまで生きていたいか・・と言われたら・・う~~ん悩みますね。
by Cedar (2024-12-01 14:31)