こんなに暑くなかった頃の夏写真たち [昔鉄写真]
熱帯夜や猛暑日続きの2023年の夏、線路端でお電車撮る気も失せました~
そりゃ気合が足りないからだ!~隙間電車やら尾根遺産お背中電車やら撮ってる瘋癲老人ですからねぇ~。
そんなCedarにも気合というものがあった1967年=昭和42年、高校1年の夏。父と花巻→福島にお電車撮影に出かけたときのカラー写真を~(1)旧ふブログ時代にご覧に入れた写真ばかりですが、この季節になるとファイルから呼び出したくなる写真たちです。
そりゃ気合が足りないからだ!~隙間電車やら尾根遺産お背中電車やら撮ってる瘋癲老人ですからねぇ~。
そんなCedarにも気合というものがあった1967年=昭和42年、高校1年の夏。父と花巻→福島にお電車撮影に出かけたときのカラー写真を~(1)旧ふブログ時代にご覧に入れた写真ばかりですが、この季節になるとファイルから呼び出したくなる写真たちです。
まずは花巻電鉄、夜行急行から降りると、こんな風景が寝ぼけまなこに飛び込んできました。
有名な馬面電車も辛うじて生きていました~この時は事業用となっていた木造デハ5、奥には鋼製馬面の姿も見えます。
有名な馬面電車も辛うじて生きていました~この時は事業用となっていた木造デハ5、奥には鋼製馬面の姿も見えます。
(3)花巻温泉へ向かう鉄道線を開けた場所で撮っていました。T車を2両つないで、通勤通学の足として利用者が多かった時代が偲べます。
交換駅の花巻グランド前、電車よりも周辺メインなのがCedarらしい?(4)ここは半世紀後の今、あの大谷選手の出身校の近くなんですね。
交換駅の花巻グランド前、電車よりも周辺メインなのがCedarらしい?(4)ここは半世紀後の今、あの大谷選手の出身校の近くなんですね。
そして午後はいよいよお目当ての軌道線(鉛線)へ~
仙台で一泊して福島交通飯坂東線(軌道線)へ~
鉄道雑誌で見たとおりのルーラルトロリー風景に感激しましたが、結局一期一会で終わってしまった福島の電車でした。
鉄道雑誌で見たとおりのルーラルトロリー風景に感激しましたが、結局一期一会で終わってしまった福島の電車でした。
そんなこんなの1967年夏。写真からは伝わってこないけど、このころだって夏は充分暑かったんです~でもまだ「日本の夏」でした~今みたいな熱帯気候なんかじゃなかった。
「ゆく夏を惜しんで」などという常套句で〆る季節ですが、とてもそんな気分ではない2023年の夏に送る56年前の夏写真たちでした。
「ゆく夏を惜しんで」などという常套句で〆る季節ですが、とてもそんな気分ではない2023年の夏に送る56年前の夏写真たちでした。
ではまた。