消えていく「用賀玉電通り」の面影 [今昔鉄写真]
欧州瘋癲旅日記(その2)サウダージな今昔写真 [今昔鉄写真]
23年前にも訪れてるリスボン、っとくればこりゃ拙ブログのメイン(爆)である「今昔写真」の絶好のネタ!ってことで、当然それは意識して撮影してました。
まずはアルファマの丘の上、28系統と12系統分岐点の2000年と2023年。
(以下、赤ノンブルは2000年撮)
(以下、赤ノンブルは2000年撮)
(1)(2)急こう配で下っていく28系統の様子や周囲の建物は殆ど変わりません。20年の間に街路樹が育ったくらいですかね?
ん?おやおや、よ~く見たらここは線路配置が変わってますねえ。小さくて見難い昔写真の分岐部分は一度単線になってますが~
(3・4)
ん?おやおや、よ~く見たらここは線路配置が変わってますねえ。小さくて見難い昔写真の分岐部分は一度単線になってますが~
(3・4)
今写真ではご覧のように複線のまま12系統が合流してます~ってことは12系統は時計周りの向きだけになってしまったんでしょうか?
そしてここはエレクトリコのハブともいえるコメルシオ広場~ここも変わってない!(13)だけど、お電車ぜんぜん来ない!
2000年の時は観光電車の乗り場がありましたが。今はどこから乗るんだろ?(14)(15)バイシャ地区の道路が封鎖工事中で、全面的にバス代行になっていました、今写真にエレクトリコの姿が無いのはそのせいです。
(16)こちらは昔写真、新旧お電車がすれ違ってる正面奥の線=国鉄アポロニア駅に向かう路線は廃止されたようです。
一連の道路封鎖工事のせいで、Cedarが是非キャッチしたかった12系統が歩道に食い込んで直角に曲がるこのシーンは撮れずでした(涙)
(17)そんなこんなのリスボン今昔写真。
20年も経ってるのに「変わってない」のオンパレード→今昔写真の意味な~し!ってのは今どき珍しいです。
(18)やはりこの街には、リスボン名物サウダージ(哀愁、怠惰、くつろぎ etc.~を表すポルトガル語)な時間が流れてるんだなあ、と思うのでした。
でも、どこもかしこも再開発という名の街壊しが横行するカオスなトーキョーからくると、むしろ嬉しい・ほっとしたのは歳のせいでしょうか?
(19)
(17)そんなこんなのリスボン今昔写真。
20年も経ってるのに「変わってない」のオンパレード→今昔写真の意味な~し!ってのは今どき珍しいです。
(18)やはりこの街には、リスボン名物サウダージ(哀愁、怠惰、くつろぎ etc.~を表すポルトガル語)な時間が流れてるんだなあ、と思うのでした。
でも、どこもかしこも再開発という名の街壊しが横行するカオスなトーキョーからくると、むしろ嬉しい・ほっとしたのは歳のせいでしょうか?
(19)
23年前に来た時は建物の新築工事をほとんど見ないことや、煤けたような古めかしい街並みを見て「なんとしけた街なんだ!」と思ったんですから・・オイラも青かった(爆)?
以上、サウダージな今昔写真でした。
ではまた。
昭和残像~三愛ビルと都電 [今昔鉄写真]
Cedarが中坊のころから~ってか、気がついたらここに建っていた三愛の丸いビル、ついに解体が始まりましたね。(令和5年3月27日撮影)
なんたって、銀座通りから都電が消えた日には、もうあったんですから~(昭和42年12月9日撮影)。
建ったころは三菱スカイリング、という名称でしたね~建設は昭和38年ですから、ほぼ半世紀で姿を消すことになります。
(下画像は絵はがきより)
このころNHKでやっていたドラマ「若い季節」のイントロが、夜の銀座4丁目交差点を俯瞰したシーンで、ザ・ピーナッツの主題歌のバックで交差点を横切る都電のビューゲルのスパークが丸いガラスに反射してましたねえ~爺は昔のことはよっく憶えてるんです(爆)。日テレの人気番組プロレス中継、三菱ダイヤモンドアワー(三菱電機1社提供!)のCMにも登場してたかも?
近年は中に入ることもなかったけど、コロナ前は1階がオープンカフェになってたことがあって、恥ずかしげもなく座ってインバウンドの観光客みたいにコーヒー飲んだなあ~
なんたって、銀座通りから都電が消えた日には、もうあったんですから~(昭和42年12月9日撮影)。
建ったころは三菱スカイリング、という名称でしたね~建設は昭和38年ですから、ほぼ半世紀で姿を消すことになります。
(下画像は絵はがきより)
このころNHKでやっていたドラマ「若い季節」のイントロが、夜の銀座4丁目交差点を俯瞰したシーンで、ザ・ピーナッツの主題歌のバックで交差点を横切る都電のビューゲルのスパークが丸いガラスに反射してましたねえ~爺は昔のことはよっく憶えてるんです(爆)。日テレの人気番組プロレス中継、三菱ダイヤモンドアワー(三菱電機1社提供!)のCMにも登場してたかも?
近年は中に入ることもなかったけど、コロナ前は1階がオープンカフェになってたことがあって、恥ずかしげもなく座ってインバウンドの観光客みたいにコーヒー飲んだなあ~
しかし日本1地価の高い銀座で、こんな効率の悪い建物がよくも今まで残ったものだ、とも思います。
とかとか・・・今日はこんな話ですが、一応鉄ブログなんで都電廃止の日のオマケ画像をどうぞ。
この日は滅多に三田車庫から出てこない、日本唯一の純正PCCカー5501がモールつけて走ってました。親子で出かけて、5500同士のすれ違いシーンもキャッチしたり、最初で最後の5501乗車もしました。ボケてますが室内写真もどうぞ。
カバー付き蛍光灯にファンデリアと、さすがPCCカー!
と感心したのですが、のちに本場で乗ったPCCカー↓は裸電球でした~(爆)
この日は滅多に三田車庫から出てこない、日本唯一の純正PCCカー5501がモールつけて走ってました。親子で出かけて、5500同士のすれ違いシーンもキャッチしたり、最初で最後の5501乗車もしました。ボケてますが室内写真もどうぞ。
カバー付き蛍光灯にファンデリアと、さすがPCCカー!
と感心したのですが、のちに本場で乗ったPCCカー↓は裸電球でした~(爆)
ではまた。
おもひでぽろぽろ~揖斐谷汲線! [今昔鉄写真]
そして拠点駅だった黒野駅跡へ~ここは「レールパーク」なる施設になっているのですが~う~む、嬉しいような哀しいような場所ですねえ。でもまあ、駅本屋とホーム上屋が残っているのはありがたいことです。
ここでは、真夏の日差しの下で元瀬戸電のモ560や~昭和52年大雪の日に、スノープロウも勇ましいモ755をゲットしたなぁ~と、しばし思い出に浸りました。
ちなみに今いるお電車(?)はこれだけです(爆)。
ここでは、真夏の日差しの下で元瀬戸電のモ560や~昭和52年大雪の日に、スノープロウも勇ましいモ755をゲットしたなぁ~と、しばし思い出に浸りました。
ちなみに今いるお電車(?)はこれだけです(爆)。
こちらは本揖斐寄りの鉄橋。ここは、直通急行がデビューして間もない昭和43年にやってきた思い出深い場所ですが、ガーダーは廃止前に架け替えられていたんですね。
昭和43年撮影時は川の改修前で、赤白の急行はキレイに撮ったものの、あまりの暑さに流れで足を冷やしてて、2軸単車改造連接車モ400+元琴平急行の小形車モ180、という貴重な編成写真がご覧の通り↓でした~
でもこの写真、好きです。
昭和43年撮影時は川の改修前で、赤白の急行はキレイに撮ったものの、あまりの暑さに流れで足を冷やしてて、2軸単車改造連接車モ400+元琴平急行の小形車モ180、という貴重な編成写真がご覧の通り↓でした~
でもこの写真、好きです。
思い出の黒野からは、旧谷汲線に沿う道を行きます。
谷汲駅の2両は綺麗に保存されてるのは嬉しい~嬉しいのですが、所詮はダルマ~構内の片隅でもいいから動態保存してほしい、なんて思っても貴重なお電車がバンバン潰されていくニッポンでは所詮かなわぬ夢ですよね・・・モ510はアメリカのトロリーファンにも「ファイブテン」と呼ばれて人気があり、実際に某トロリーミュージアムからオファーもあった(らしい)のですがもちろん実現せず・・3両も保存されてるんだから1両くらいはメリケンで~と彼の地のトロリーミュージアムで「走る保存車」に乗ったCedarは思うのでした。
とかとか~2023年2月2日、おもひでぽろぽろの谷汲線訪問記でした。
ではまた。