昭和残像~三愛ビルと都電 [今昔鉄写真]
Cedarが中坊のころから~ってか、気がついたらここに建っていた三愛の丸いビル、ついに解体が始まりましたね。(令和5年3月27日撮影)

なんたって、銀座通りから都電が消えた日には、もうあったんですから~(昭和42年12月9日撮影)。
建ったころは三菱スカイリング、という名称でしたね~建設は昭和38年ですから、ほぼ半世紀で姿を消すことになります。
(下画像は絵はがきより)
このころNHKでやっていたドラマ「若い季節」のイントロが、夜の銀座4丁目交差点を俯瞰したシーンで、ザ・ピーナッツの主題歌のバックで交差点を横切る都電のビューゲルのスパークが丸いガラスに反射してましたねえ~
爺は昔のことはよっく憶えてるんです(爆)。日テレの人気番組プロレス中継、三菱ダイヤモンドアワー(三菱電機1社提供!)のCMにも登場してたかも?
近年は中に入ることもなかったけど、コロナ前は1階がオープンカフェになってたことがあって、恥ずかしげもなく座ってインバウンドの観光客みたいにコーヒー飲んだなあ~



建ったころは三菱スカイリング、という名称でしたね~建設は昭和38年ですから、ほぼ半世紀で姿を消すことになります。
(下画像は絵はがきより)



しかし日本1地価の高い銀座で、こんな効率の悪い建物がよくも今まで残ったものだ、とも思います。
とかとか・・・今日はこんな話ですが、一応鉄ブログなんで都電廃止の日のオマケ画像をどうぞ。

この日は滅多に三田車庫から出てこない、日本唯一の純正PCCカー5501がモールつけて走ってました。
親子で出かけて、5500同士のすれ違いシーンもキャッチしたり、最初で最後の5501乗車もしました。ボケてますが室内写真もどうぞ。
カバー付き蛍光灯にファンデリアと、さすがPCCカー!
と感心したのですが、のちに本場で乗ったPCCカー↓は裸電球でした~(爆)

この日は滅多に三田車庫から出てこない、日本唯一の純正PCCカー5501がモールつけて走ってました。


と感心したのですが、のちに本場で乗ったPCCカー↓は裸電球でした~(爆)

ではまた。
おもひでぽろぽろ~揖斐谷汲線! [今昔鉄写真]
そして拠点駅だった黒野駅跡へ~
ここは「レールパーク」なる施設になっているのですが~う~む、嬉しいような哀しいような場所ですねえ。でもまあ、駅本屋とホーム上屋が残っているのはありがたいことです。
ここでは、真夏の日差しの下で元瀬戸電のモ560や~
昭和52年大雪の日に、スノープロウも勇ましいモ755をゲットしたなぁ~と、しばし思い出に浸りました。
ちなみに今いるお電車(?)はこれだけです(爆)。


ここでは、真夏の日差しの下で元瀬戸電のモ560や~

ちなみに今いるお電車(?)はこれだけです(爆)。

こちらは本揖斐寄りの鉄橋。
ここは、直通急行がデビューして間もない昭和43年にやってきた思い出深い場所ですが、ガーダーは廃止前に架け替えられていたんですね。

昭和43年撮影時は川の改修前で、赤白の急行はキレイに撮ったものの、あまりの暑さに流れで足を冷やしてて、2軸単車改造連接車モ400+元琴平急行の小形車モ180、という貴重な編成写真がご覧の通り↓でした~
でもこの写真、好きです。


昭和43年撮影時は川の改修前で、赤白の急行はキレイに撮ったものの、あまりの暑さに流れで足を冷やしてて、2軸単車改造連接車モ400+元琴平急行の小形車モ180、という貴重な編成写真がご覧の通り↓でした~
でもこの写真、好きです。
思い出の黒野からは、旧谷汲線に沿う道を行きます。
谷汲駅の2両は綺麗に保存されてるのは嬉しい~嬉しいのですが、所詮はダルマ~構内の片隅でもいいから動態保存してほしい、なんて思っても貴重なお電車がバンバン潰されていくニッポンでは所詮かなわぬ夢ですよね・・・
モ510はアメリカのトロリーファンにも「ファイブテン」と呼ばれて人気があり、実際に某トロリーミュージアムからオファーもあった(らしい)のですがもちろん実現せず・・
3両も保存されてるんだから1両くらいはメリケンで~と彼の地のトロリーミュージアムで「走る保存車」に乗ったCedarは思うのでした。


とかとか~2023年2月2日、おもひでぽろぽろの谷汲線訪問記でした。
ではまた。